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李膺 (後漢) : ミニ英和和英辞書
李膺 (後漢)[り よう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [り, すもも]
 【名詞】 1. (Japanese) plum 2. prune 3. prunus salicina 
: [のち]
  1. (n,adj-no) afterwards 2. since then 3. in the future 
: [かん]
 (suf) man (negative nuance)

李膺 (後漢) : ウィキペディア日本語版
李膺 (後漢)[り よう]
李 膺(り よう、生年不明 - 169年)は、中国後漢時代の官僚。は元礼。潁川郡襄城県(河南省襄城県)の人。祖父の李脩(り しゅう)は、安帝の治世、太尉。父の李益(り えき)は趙国のであった。子は李瓚。生まれつき礼法にこだわらず、亢然としていて人と交際しなかったという。ただ同郡の荀淑陳寔らを師友とした。
== 生涯 ==

=== 前期 ===
始め孝廉に推薦されて司徒の胡広に招かれ、試験の成績が優秀であり、青州刺史にまで昇進した。彼の指揮下の太守県令は彼の威厳、物事を見通す能力に畏れ、多くが辞任した。
その後、再度招かれ、漁陽太守、蜀郡太守に栄転するも、母親が高齢であるといい赴任しなかった。しばらくして、護烏桓校尉になった。鮮卑族がたびたび塞に進入したが、その都度、矢や石を掻い潜り撃退した。そのため鮮卑族は彼をひどく怖れた。
しかし、公務の事件で免職になり、綸糸に帰った。塾を開き教えたが、教えを請うものが常に千人あまりいた。後漢の荀爽は彼に面会しその折、彼の馭者を務め、家に帰って大喜びで「今日始めて李君の馭者になれたぞ」と言った。
永寿2年(156年)、鮮卑が再び雲中を侵略した。桓帝は李膺が有能なのを耳にして、召して度遼将軍に任じた。羌族疏勒亀茲ら西方の諸部族がたびたび侵略し、張掖酒泉雲中の諸郡の人民は苦しめられていた。膺が着くと、蛮族は攻められる前に連れ去った男女をすべて塞に送還した。これにより李膺の名は遠くまで響き渡る。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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